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  国際交流ボランティア in 高槻市 

2024/9/1更新

会員、学習者の投稿

new パリオリンピックにおも
  (石田いしだ 勝彦かつひこ 日曜日にちようび教室きょうしつ

 今年ことしのパリオリンピックでは日本にほん選手せんしゅ大活躍だいかつやくし、たくさんのきんメダルを獲得かくとくしました。深夜しんやのテレビ中継ちゅうけい寝不足ねぶそくになったひとおおいのではないでしょうか。

 エッフェルとうやベルサイユ宮殿きゅうでん、ルーブル美術館びじゅつかんなど名所めいしょがテレビ画面がめんつうじてうつされましたが、わたしは18年前ねんまえ旅行りょこうしたとき失敗しっぱいよみがえりました。パリ市内しない観光かんこう利用りようしていた地下鉄ちかてつでデジカメをぬすまれ、写真しゃしんうしないました。ちかくの警察けいさつしょって盗難とうなん証明書しょうめいしょ発行はっこうしてもらったのが貴重きちょう体験たいけんえるかもしれません。

 昨今さっこん円安えんやす原油げんゆだか海外かいがい旅行りょこう高嶺たかねはなになってしまいましたが、世界中せかいじゅう戦争せんそうおさまったら、もう一度いちどおとずれたいとおもっています。今度こんどはスリに十分じゅうぶん注意ちゅういします。

new マンガ de 日本語にほんご<10>
  『ココア&カカオ』 by エイネ
  日本語にほんご漫画まんがいてみませんか
  (エイネ&城野じょうの 佳代子かよこ 日曜にちようA教室きょうしつ

 あさきるのは得意とくいですか。めたらすぐにきられますか。

 今回こんかいは、ネコのカカオが、なかなかきない宇宙人うちゅうじんのココアをこそうといろいろためして奮闘ふんとうするおはなし

 なかには危険きけんなものもありますので、ご注意ちゅういを。

new UFOとの出会であい? ミニ北陸ほくりくたび
  (湯浅ゆあさ 佳代かよ 水曜日すいようび教室きょうしつ

 5月上旬じょうじゅん能登のと半島はんとう地震じしん復興ふっこうのわずかばかりの支援しえんになるかと、以前いぜんからきたかった石川県いしかわけんにある宇宙うちゅう科学かがく博物館はくぶつかんコスモアイル羽咋はくいふく北陸ほくりくたびた。

 元々もともとUFOの話題わだいとかきなほうなので、期待値きたいちおおきかった。屋外おくがいには米国べいこくげた本物ほんもののレッドストーンロケットがそびえたっていた。

 平日へいじつだったので館内かんないは2めいだけだった。世界せかいはつ有人ゆうじん飛行ひこうをした宇宙うちゅう飛行士ひこうしガガーリン少佐しょうさったボストーク1ごう精巧せいこうなレプリカるい、またきゅうれん連邦れんぽう時代じだい本物ほんもの無人むじん月面げつめん探査機たんさきルナ24ごう(ルナシリーズはソれん崩壊ほうかいにバラバラにされ、現在げんざい地球上ちきゅうじょうのこっているのはこの展示館てんじかんにあるルナ24ごうしかないとわれている)の機材類きざいるい、プラネタリウムでの宇宙うちゅう旅行りょこう体感たいかん色々いろいろ展示物てんじぶつていると、やく時間じかんごしていた。興味きょうみのあまりないひとは1時間じかんぐらいのスケジュールがいかもれない。ショップもあり、宇宙うちゅうかんするグッズがえる。宇宙食うちゅうしょく、バッチ、Tシャツなどしいものがあったが、とりあえず15世紀せいきにアルゼンチンにちたてつ含有量がんゆうりょうおお隕石いんせきのかけらをった。いましゅつ禁止きんしされ入手にゅうしゅ困難こんなんらしい。展示物てんじぶつ隕石いんせきるだけだが、った隕石いんせき感触かんしょくあじわえるのでたのしい。

 その快晴かいせいめぐまれ富山とやまけんたてやま連峰れんぽうのぞあまはらし海岸かいがんえきとそのちかくの伏木ふしきえきにある明治めいじ時代じだいふし測候所そっこうしょあたりをを観光かんこうした。測候所そっこうしょからも立山たてやま連峰れんぽうえ、気象きしょう観測かんそくにはピッタリの立地りっちである。明治めいじ時代じだい職員しょくいん気象きしょうデーター記録きろく日誌にっし明治めいじ18ねん)は日本語にほんご英語えいご並記へいきされ、そのころ職員しょくいん英語力えいごりょくにはおどろいた。西洋せいよう気象学きしょうがくいつくため輸入ゆにゅう機器きき気象学きしょうがく勉強べんきょうだけでなく、英語力えいごりょく要求ようきゅうされていたのだなとその努力どりょく感銘かんめいした。富山とやまわん海岸かいがんに1ぷんられる民宿みんしゅくまったが、ブリ料理りょうりはじ富山とやまわんうみさち一杯いっぱい食事しょくじたのしみ、たびだった。

コスモアイル羽咋はくい

new カラスのかん太郎たろう
  (もり 勝則かつのり 代表だいひょう 火曜日かようび教室きょうしつ

 子供こどもころ田舎いなか神社じんじゃんでいたことがある。台風たいふう翌朝よくあさ社殿しゃでんまえからちたカラスのつけた。まだえず、えていない赤裸あかはだかだった。

 弁当箱べんとうばこにボロをいてかせ、ミミズをやると元気げんきよくんだ。大変たいへん大食漢たいしょくかんで、一度いちどに10ぴきべるのにおどろいた。一時間いちじかんもしないうちにまたえさをねだるので、ビンにミミズを一杯いっぱいめて学校がっこうにもれてった。やす時間じかんたびえさやりをしていると、友達ともだち名前なまえかれ、おもわずかん太郎たろうだとこたえた。以来いらいかん太郎たろうはクラスの人気者にんきものになった。みながミミズや青虫あおむしってきてはあたえるので、かん太郎たろう成長せいちょうはやく、1かげつくらいでもう立派りっぱべるようになった。かん太郎たろう学校がっこう大好だいすきで、いつも一緒いっしょ登校とうこうした。授業中じゅぎょうちゅうまどそとからじっと授業じゅぎょう風景ふうけいながめている。わたしげたり、がってほんむとよろこんでばたいてせる。わたしはいつも校内こうない新聞しんぶんに「かん太郎たろう日記にっき」をいていて、これが結構けっこう人気にんきだったので、いつのにか作文さくぶんきになったようだ。

 母親ははおや最初さいしょからかん太郎たろう大嫌だいきらいだった。あるかれおおきな青大将あおだいしょういえなかまできずってきたことがあった。きっと、得意とくいになってわたしせようとおもったのだろう。しかし、これを母親ははおやがギャーとさけんで気絶きぜつした。母親ははおやからかん太郎たろうててきなさいとわれたが、かれんでいるわけではない。でもかしこかん太郎たろうなにかをさっしたらしく、翌日よくじつからいえにはりつかなくなった。相変あいかわらず学校がっこうにはついてきて、授業中じゅぎょうちゅうそとでおとなしくっている。やす時間じかんにはみな一緒いっしょにボールげにも参加さんかして、とおくにころがったボールをひろってきてくれる。学校がっこうかえりはいつもわたしかたにとまって、耳元みみもとでおしゃべりをする。ちいさいころからずっと一緒いっしょなので、かれはなしかるようになった。

 あるかえみち、いつもとちがささやきに戸惑とまどっていると、そらたかんでって一羽いちわのカラスと一緒いっしょもどってきた。かん太郎たろうよりすこ小柄こがらで、どうもメスらしい。ははあ、恋人こいびと出来できたとっているのかとさっした。その最後さいごに、かん太郎たろうわたしまえから姿すがたした。おそらくあの可愛かわい彼女かのじょこいをして、今頃いまごろはデートにいそがしいのだろう。恋人こいびともいないわたしかん太郎たろううらやましくおもったものだ。

 いまでもカラスをると、あの可愛かわいかん太郎たろうおもいだしてむねあつくなることがある。

new いろのことば (佐々木ささき 知子ともこ 日曜日にちようびA教室きょうしつ

 以前いぜん外国がいこくかた日本語にほんごの、いろ使つかった表現ひょうげんはなしをしたことがある。たとえば黄色きいろこえ腹黒はらぐろい、黒幕くろまく赤恥あかはじなウソ、あか他人たにんあおくなる、あおくさい、白々しらじらしい、白眼しろめる、などなど。いろあらわすイメージをなんとなくわかってもらえたが、「みどり黒髪くろかみ」なんてわけのわからんことばにつまづいた。はる芽吹めぶころのつやのある木々きぎように、ゆたかなうつくしいかみあらわしているという。

 そして最近さいきんいろ説明せつめいしながらづいたことがある。さき慣用句かんようくでのいろは、あかあお白黒しろくろおもで、あかい、あおい、しろい、くろい、は形容けいようだが、ちゃなどは「いろい」がついて形容けいようになる。みどりむらさきももなどは「いろい」がついても形容けいようにならない。『これは説明せつめいできない。そのまま素直すなおおぼえてね』とこころこえです。

 どうやら古代こだい日本にほんには4しょくしかかったらしい。もちろん様々さまざまいろ認識にんしきはあったが、ことばとしては4しょくだけだったという。方角ほうがくでもきたくろひがしあおみなみあか西にししろで、季節きせつげんとう青春せいしゅんしゅはくしゅうるところだ。 ところでみなさん「青眼せいがん」の意味いみをごぞんじですか。ずかしながらわたしりませんでした。ヒントは白眼はくがん反対はんたいです。

 青眼せいがん・・・したしいひとたときよろこんでむかえるつき

 うめしごと (九鬼くき 明美あけみ 火曜日かようび教室きょうしつ

 6がつなかばになると瑞々みずみずしくかおりのよい青梅あおうめ店頭てんとうならはじめる。ブランデーにけて梅酒うめしゅにするか、砂糖さとう一緒いっしょうめシロップにするか、それとも今年ことしこそは頑張がんばって梅干うめぼしをけてみるか、と思案しあんする。

 義母ぎぼ毎年まいとし梅干うめぼしをけるひとだった。それは最近さいきん流行はやりの塩分えんぶんひかえめのあまいものではなく、すっぱくてしょっぱい、むかしながらの梅干うめぼしである。わたしはその梅干うめぼしが大好だいすきで、毎年まいとし帰省きせいのたびに有難ありがた頂戴ちょうだいしていたのであるが、その手作てづくりの梅干うめぼしがべられなくなってひさしい。

 ところがそのうめ今年ことし不作ふさくく。

 いち大産地だいさんち和歌山県わかやまけんでは暖冬だんとうはな未熟みじゅくなまま開花かいかしたことで、ミツバチがやっててもうまく受粉じゅふんができずにがならないのだそうだ。そのうえがつまつひょうり、かなりの被害ひがいがあったとか。のこっただけでも順調じゅんちょうそだって収穫しゅうかくできることをねがうばかりである。毎年まいとしこの時期じき季節きせつかんじさせてくれる手仕事てしごとさわやかな初夏しょかかおりを心待こころまちにしている。

 出会であいのかいとネモフィラまつ
  (城野じょうの佳代子かよこ 日曜日にちようびA教室きょうしつ留学生りゅうがくせい支援しえんG)

 4月27日(土)、大阪おおさか大学だいがくホストファミリープログラム(OHP)「出会であいのかい」へってきました。

 大阪おおさか大学だいがくでは、留学生りゅうがくせいおよび地域ちいき社会しゃかいがおたがいの文化ぶんか習慣しゅうかんただしく認識にんしきし、相互そうご理解りかいふかめることを目的もくてきとして、留学生りゅうがくせいホストファミリープログラムを実施じっししています。クスクスの留学生りゅうがくせい支援しえんグループは、このプログラムに参加さんかしており、今回こんかい台湾たいわんから3月に来日らいにちしたファン リンウェンさん(以下いか「リンさん」とびます)をれしました。リンさんは日本語にほんごがとても堪能たんのうで、大学だいがくでは法律ほうりつ専攻せんこうしています。アニメもきで、日本にほんでアニメのグッズをいたいとっていました。

 ったつぎ、さっそくリンさんと一緒いっしょ大阪おおさかまいしまシーサイドパークの『ネモフィラまつり』にってきました。ネモフィラとは、はるにかわいいちいさなあおはなをブルーのカーペットのようにかせる一年いちねんそうです。このあさから快晴かいせいで、ゴールデンウイークちゅうということもあり、現地げんちくバスていながれつでした。バスにってからも渋滞じゅうたいでなかなかすすまず、やっと到着とうちゃくしたころには昼過ひるすぎでした。しかし、苦労くろうおおきいほど、よろこびも格別かくべつで、ネモフィラははなざかり。そらうみはなすべてがあお、パステルブルーでくされていました。

 どこへってもひとだらけで時間じかんながかったですが、そのぶんいっぱいリンさんとおはなしすることができ、充実じゅうじつした一日いちにちでした。

 つぎはどこへこうかな。

 OHPに興味きょうみがあるかたは、留学生りゅうがくせい支援しえんグループの会員かいいんへおこえけください。

大阪まいしまシーサイドパークの『ネモフィラ』

 おばちゃん (佐々木ささき 知子ともこ 日曜日にちようびA教室きょうしつ

 スクールのスペルの“O”が2つだったこともわすれていた45さいとき青天せいてん霹靂へきれきおっと米国べいこく赴任ふにん家族かぞくくことになってしまった。

 しかたがない。現地げんち教会きょうかいでボランティアの英語えいご教室きょうしつがあるとき、しゅう一回いっかいかようことにした。レベルけテストはあったが、のぞんでビギナークラスにした。学習者がくしゅうしゃはイタリアじんリア、韓国人かんこくじんケイト、ブラジルじんイザベラ、そしてわたしで、年齢幅ねんれいはばは10さいくらいで、先生せんせい英国えいこくけいのおじいさんでした。

 わたしたちはおなまちみ、子供こどもたちはおなまち学校がっこう通学つうがくしていた。ぎこちなかったわたしたちではあるが、なんとなくった。そのうち、みんなでって、おしゃべりしよう、練習れんしゅうになるからと、イザベラのいえあつまるようになった。おのずと話題わだいが、まちのこと、おいしいレストランのこと、学校がっこうのことなどになってきた。日本にほんわらない、おばちゃんのおしゃべりは万国ばんこく共通きょうつうなのかな。

 わたしたちはあつまりを「国際こくさい会議かいぎ」といった。それぞれ料理りょうりり、べながら、おちゃみながら、かみやペン、辞書じしょなどを使つかい、一生いっしょうけんめいにおしゃべりをした。

 もっと英語えいご苦手にがてなリアが一番いちばんのおしゃべりだった。彼女かのじょはイタリアじん。ボディーランゲージではなす。ベルルスコニー首相しゅしょうおんなきでこまるとか。イザベラは麦茶むぎちゃ砂糖さとうれてんだ。料理りょうり醤油しょうゆ使つかっていた。ケイトとは、いっしょに キムチづくりをした。わたしのレンコンてんぷらは人気にんきだった。会議かいぎたのしかった。

 ある日、おっと不思議ふしぎがった。ほんまに会話かいわできてるんかと。しばらくだまって、「そうか、わかった。この世界せかいには『おばちゃん』てのがあるんか!すごいもんだ。」

 そうかもしれない。共通きょうつうした日々ひび生活せいかつ話題わだいにして、わたしたちはアウトプットをたのしんでいたのだろう。彼女かのじょたちのおかげで、わたし英語えいごすこ上達じょうたつしたようでした。

家族ぐるみで国際交流

 スペインのたびえて (あずま るみ 火曜日かようび教室きょうしつ

 バレンシアオレンジやパエリアの発祥はっしょうとしてられている地中ちちゅうかい沿岸えんがん都市としバレンシアからたびはじまりました。スペインの生活せいかつりたくて一ヶいっかげつのホームステイをして、語学ごがく学校がっこうすこしだけかよいスペイン文化ぶんかおおいにたのしむことにしました。

 学校がっこうおおきな中央ちゅうおう市場いちば世界せかい遺産いさん商品しょうひん取引所とりひきじょ(15世紀せいき建造けんぞう)、大聖堂だいせいどう美術館びじゅつかん広場ひろばなど歴史れきしかんじる建造物けんぞうぶつがたくさんある旧市街きゅうしがいにあり毎日まいにちワクワクしながらかよいました。学生がくせいはオランダ、スイス、フランス、イギリス、ドイツなどおもにヨーロッパからのひとおおく、中国ちゅうごく日本にほんからも10にんくらいいておたがいに情報じょうほう交換こうかんしながらたくましく頑張がんばっていました。

 毎日まいにちわかさと刺激しげきのシャワーをびているようなかんじでした。授業じゅぎょう午後ごご6わるとおさけとおつまみ(アヒージョ、コロッケ、さかなのマリネなど)をべるバルめぐりがたのしい日課にっかになりました。週末しゅうまつはマドリードやバルセロナへAVE(スペインばん新幹線しんかんせん)を利用りようして観光かんこうをしました。とく印象的いんしょうてきだったのがサグラダ・ファミリアです。内部ないぶのステンドグラスとひかりうつくしさや豪華ごうか雰囲気ふんいき圧巻あっかん二回目にかいめ今回こんかいはエレベーターで最上階さいじょうかいまでのぼ中海ちゅうかい市街地しがいちながめ、とう間近まぢかとき感動かんどうわすれられません。

 ホームステイがわると、バレンシアをはなれコルドバとセビージャへ旅行りょこうしました。コルドバでは丁度ちょうどパティオ(中庭なかにわまつりが開催中かいさいちゅう観光かんこうきゃくはな植物しょくぶつかざられたうつくしい中庭なかにわ見学けんがくすることができました。

 ハプニングもいろいろありましたが、最悪さいあくのハプニングはタクシーのなか携帯けいたい電話でんわわすれたことです。スペインでは100%もどってこないといていたのであきらめていたら、親切しんせつなタクシー運転手うんてんしゅかた警察けいさつ本部ほんぶとどけてくれ、警察けいさつわたし携帯けいたい電話でんわ使つかわたし居場所いばしょ必死ひっしさがしてくれました。翌日よくじつには警察けいさつ本部ほんぶりにくことが出来でき無事ぶじもどってました。旅行中りょこうちゅう、いろいろなひとにお世話せわになりたすけていただきながらたのしくごすことが出来でき感謝かんしゃしています。そしてますますスペインがきになりました。

世界遺産の商品取引所

パエリアを囲んで交流

サグラダファミリアからの眺め

 タンポポ 岸本きしもと 佐男さお岸本きしもと 佐男さお 副代表ふくだいひょう

 タンポポは雑草ざっそうとしてのしぶとさをしっかりっている。ふゆあいだったっぱはまれてもへこたれないし、おどろくほどなが引抜ひきぬくのが困難こんなんである。この黄色きいろ集合しゅうごうはる空地あきち目立めだつが、はなのあとの種子しゅし綿毛わたげ)のほう印象いんしょうつよい。タンポポはかぜせ、なるべく種子しゅしとおくにばすため、はなわるとそのくきながばし、れたしろいまんまる綿毛わたげひらく。わたしは、この綿毛わたげると、ついいききかけ、綿毛わたげばしたくなるのだが、まんまとタンポポの策略さくりゃくせられているがする。

 タンポポという奇妙きみょう由来ゆらいについてはいくつかあるが、わたしは「たねポッポ」せつ一番いちばんきである。ポッポとは、なにかが空気中くうきちゅうがるさまあらわしている。汽車きしゃポッポとかはとポッポのたぐいである。綿毛わたげかぜかれて,青空あおぞらにポッポと様子ようすがタネポッポで、それがこなれてタンポポになった。その景色けしきじつ爽快そうかいである。

 「は」は「わ」とむが、どうして「わ」とかないのか?
  (石田いしだ 勝彦かつひこ 広報こうほう

 2月23日に放送ほうそうされたNHK番組ばんぐみの「チコちゃんにしかられる」で、「は」と「わ」の疑問ぎもんについて紹介しょうかいされていました。

 日本にほん使つかわれる文字もじ中国ちゅうごくからつたわった漢字かんじもとになり、平仮名ひらがな漢字かんじ変形へんけいしてつくられました。平仮名ひらがなのない奈良なら時代じだいは「波」を助詞じょしとして使つかっていましたが、みは「pa=パ」でした。

 「pa」の発音はつおん平安へいあん時代じだいに「fa=ファ」に変化へんかし、その発音はつおんらくにするため「ha=ハ」と「wa=ワ」にかれました。

 平安へいあん時代じだい文学ぶんがく百人一首ひゃくにんいっしゅでは、「あわれ」と発音はつおんするのに「あはれ」と表記ひょうきしてあります。この仮名かなづかいは、明治めいじ時代じだいまで使つかわれていました。

 昭和しょうわ21ねん(1946年)、「発音はつおんどおりの仮名遣かなづかいをしよう」という方針ほうしん現代げんだい仮名遣かなづかいを政府せいふめましたが、「わたしは」は平安へいあん時代じだい以来いらい使つかわれてきたので「わたしわ」にしないことになりました。

 ここで問題もんだい

 みぎの(1)から(10)のぶんに、「は」または「わ」をれると、意味いみのあるぶんになります。

 あなたはなんもんわかりますか?





 こたえ






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